94歳のお婆ちゃんは元気でした。

Vol.426

今日は94歳のばーちゃんに
会いに行ってきました。


何年振りだったろうか。
仕事が忙しい、忙しいと
言い訳しては顔も出さず、、、。



とても良くしてもらったのに。





ここ数ヶ月間、
ばーちゃんのことを良く思いだす。





何だか、胸騒ぎがする感じで、
気になって仕方がない。
だから会いに行ってきた。
後悔はしたくない。





気がつけば、
10年振りだった。
もう、94歳になっていた。





最近では記憶も曖昧で、
家族ですら分からなくなるみたい。






私、英子だよ。分かる?
って聞くと。
分かるよ。とニコニコ。
穏やかに笑っていた。

↑真ん中は母。
私が巨人に見えますが、
母が超小柄なんです。
私は身長166センチ。
母は身長150センチ。
ばーちゃんは160センチ。





で、今日は全くビジネスではなく、
ばーちゃんの話を
ブログに残しておこう。




このばーちゃんは、
とんでもく怖かった。





何回、怒鳴られたことか。笑




私が小学1年生の時に
母は離婚しました。



当時は、まだ、母子家庭が珍しく
学年130人で私だけ。




そんな時代は、片親、片親って
ヒソヒソ。
かわいそうね。って言われて、




同級生からは貧乏だ。って
よく馬鹿にされた時代。




まぁ、仕方ない。

だって、
ビデオデッキも
エアコンも
電話も
電子レンジもない。
シンクはお湯がでない。
ないないづくし。



社会は片親に対して
優しくはなかった時代。





ばーちゃんは、
出戻りの母を
(次も)変な男に
ひっかからないように
自分の家の裏に家を借りて
私たち親子を住まわせていた。



ばーちゃんは、地域では
なかなかの気の強い女性で、
私は小さい時から
こう言われて育ったのだ。




『お前は片親しかえんのや。
人様に後ろ指をさされるような
ことはするなよ。』



顔を見るたびに何百回も。
当時は小さくて、
意味が分からなかったけど
中学になる頃には、
意味も分かってきた。



だけど、高校に入り、
反抗期に入った頃には
ばーちゃんをウザいと思ってしまい、
顔を合わさないようにしていた。




すると、平日は、学校やバイトで
いないことは分かっていて、
日曜日のたびに朝早くから
うちにきて、私の部屋に入り、
寝ている私の枕元でも
お説教をしてました。笑




何を説教されていたかというと、、、



いついつにどこどこの道で、
4人で自転車に乗っているのを
見かけたが、お前が1番目立つ。



お前は背も高いし、
声はガラガラで声がデカい。
どこにいてもすぐに分かる。




あんな大きな声で話すな。笑うな。
みっともない。
近所の人の笑い物だ。




という、世間体を気にしての
小言をひたすら毎週。




流石に社会に出て、
車を手に入れたら来なくなった。
解放されたのだ!





だけど、毎度、毎度、
お説教されていたけど
ばーちゃんを嫌いにはならない。




もっともな事を
言われていたから。



それは、今でも世間一般に
常識的な事ばかりで、
社会に出とから幾度となく、
あの時、このことをいってたのか。




ばーちゃんは、
すごいな。お見通しだな。って
むしろ尊敬。


だけどひとつだけ
ばーちゃんを恨んだことがある。
話は遡って、小学3年生。




自転車教室の日、
小3になると買ってもらった
ピカピカの自転車をひいて
学校に行き、交通ルールを
教えてもらう日があった。




貧乏なうちには
もちろん自転車はなく、
学校に行くのも嫌だな。と
思っていたその日の前日。





ばーちゃんが、
『おい、ばーちゃんが
いーもんにしてやるから
だまっとけ〜』
※何とかしてあげるから
楽しみにしてね。の意味。




え!自転車買ってもらえるの!!と
ウキウキして待っていましたが、





数時間後にきた自転車は、
こんな感じの自転車を
ばーちゃんが水色のペンキを
ぶっかけて塗装したものでした。


塗装じゃなく、ぶっかけ。
かごも
ペダルも
ハンドルも
サドルも
スタンドも
荷台も
タイヤ以外全て水色。
何もかも水色。


こんな水色。↓

自転車がないよりマシ。
ボロボロはかわいそう。
何とかしてやらなきゃ。




そんな優しさでしたが、
これならない方がマシだ。汗
とさえ思いましたが、





怖すぎてNOとは言えず、
持って行き、それから3年以上、
水色ペンキチャリでした。




しかし、思えば、
無いなら何とかする。
どうしたら手に入るか。
ある人に聞いてみる。
知恵を絞れ!
みたいなのは、
ばーちゃん譲りかもしれない。





知らず知らずに
小さい頃にしてもらったり
教えられたことは、
自然と身についているのかも。





そう考えると、
鬼のように怖かった
ばーちゃんからは、
本当に色んなことを
教えてもらったから
感謝している。





今日、初めて
ばーちゃんの手を
ぎゅっと握ってきた。
とても暖かかった。
とても嬉しそうだった。





もう94歳、
会える回数は限られているから
後悔しないように、
ちょくちょく顔を見にいく時間を
作ろうと思う。




取り止めのないブログに
なってしまいましたが、
今日は本当にばーちゃんに
会えた事が嬉しかったです。




最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。